2020年10月4日日曜日

ハンコ廃止に続く行政のFAX廃止で考える必要のあること

 自治体の「個人情報保護条例」がネックになってFAXを使わざるを得ない…という話もあるようですが、個人的にはそれ以上に、国の規定する「個人情報保護法」において

  1. 情報のストックや利用に関して他人に制約を課すことにばかり関心が高い割に、その安全性の担保は仕組みを作らず人に依拠するだけになっている
  2. 関係者間での安全な情報受け渡しのためのフローやプロトコルがきちんと規定されていないこと
  3. 「関係者」の対義語になる筈の「第三者」が定義されていないために、個々の情報の受け渡しや共有の「範囲」の設定が現場で混乱を起こしていること
という部分に問題があると考えています。

 そのためか、国も自治体も(特にITから逃げ回りたい管理職や高齢職員は)「ITを用いた電子データの取り扱いや受け渡しに対してはやたらととやかく騒ぐ一方で、情報の受け渡しや共有手段のひとつであるFAXの利用については何も検証してこなかった」というのが実情だろうと思います。

 例えば、FAXの利用上、「正しい送信先にFAXが送信されていて、かつ第三者にFAXの内容が漏洩していないこと」を送信側が毎回確認しエビデンスを残すようなことができているのかとなると極めて疑問なのですが、ITを利用する場面ではそこがうるさく問われたりします。もっともこれは行政だけではなく、多くの企業や教育現場等でも同じでしょう。

 個人的には「FAX廃止」には非常に賛成でさっさとやってくれ…という考えですが、他方行政官署内部での(個人)情報の保護と利用についても両立させる必要がある…とは思っています。実際には現在のIT技術でもこれらを両立させることは既に可能な筈ですが、現状では官民問わずIT部門のリテラシーが低すぎて実現が追い付いていない感があります。

 例えば、FAXを廃止した後にどうするのか…?という手段としてすぐに思い付くのがメールになります。ただ、現状の素のSMTPでは「個別に暗号化してパスワードを付与したファイルを添付し、そのパスワードを後送する」といういわゆる「PPAP」というやり方がよく使われていますが、このやり方自体既に

  • メールの受信側で送信元の本人確認の手段がない
  • パスワードを後送したところでメールの送信路が元のファイル添付のメールと同じになることが殆どで、悪意の第三者の元ではいくらでもパスワードごと傍受可能
という状態で全くセキュリティの意味をなしておらず、単に送受信双方に余計な手間をかけさせる以上の意味がありません。この時点で既に個人情報保護法を踏んづけているとも言える状態です。

 このあたり、SMTPの電子メールを使用するのであれば、PKI(公開鍵暗号化方式)によるS/MIMEの利用がもっと推進されるべきだろうと思いますが、ファイルのやり取りが必要な場合ならファイル受け渡しサーバーを利用する形に変えるべきでしょうし、行政がよく行うワークフローである「申請」のようなものなら、基本的に暗号化したWebを使用する形を組織として整備することでFAXの代替を考えるべきではないかと思います。

 あと、これも行政だけではなく民間でもよく見られることですが。現状のメールの利用に当たっては、組織内での「メールアドレス」の運用の仕方にも問題のある組織が多々見受けられます。最後にそこを指摘しておきたいと思います。

  • 「組織で仕事をしている」ような場面の場合、行政側から送信するメールの送信元は「組織のアドレス」にすべきであるが、そういうアドレスの運用を面倒くさがり、担当者個人名のメールアドレスでのメール送信を強要する組織が多い
  • 広報等、広く周知したいメールを送信する時に、宛先となる個々のメールアドレスを他に知らせたくない…という理由でBcc:に多数並べる運用をしている組織が多いが、これはダメ。そういうメールを送信したいのであれば、メーリングリストを作成し、そのメーリングリストをTo:なりCc:に書くべき。個々のメールアドレスが配布先に知られることがなくなり、かつBcc:に貼るべきアドレスをTo:やCc:に貼ってしまってメールアドレスを漏洩させるような事故の防止にも繋がる。

2020年6月13日土曜日

司馬の考える「ITエンジニア」の定義

 せっかくブログ立てたので、以前にtwitterでやったネタをまとめておきます。


 これに対する連投。
 

 これ書いた時に「noteにでもまとめた方がいい」って言われたのがずっと残ってた(笑)ので、せっかくブログを立てたついでにまとめておくことにしました。
 自分としては、かなり自分の価値観の根源に近いところを説明したと今でも思っています。

 プロフィールのページをご覧になった方の中には気が付いた方がいるかも知れませんが、司馬は前職の会社ではいわゆる「情報システム部門」に所属したことはありません。むしろずっとユーザー部門や事務部門をいろいろと渡り歩いていました。
 そのおかげか、ヘタな情シス部員よりも広く社内の各部署で使われているシステムやその裏事情を知り過ぎていたために、情報システム部門からは「天敵」扱いをされるハメにもなっていました(笑)

 その当時はずっと「IT側から業務を見る代わり、IT技術にも傾注し過ぎない」というスタンスを堅持していました。前職を退職して大学の事務員をやるようになった今でも、その考え方は今でもあまり変わっていないような気はします。
 上記の連投には、そうしたスタンスもかなり反映されているような気はします。

これから介護へ向かわなければならない皆様へ(4):介護保険は頼りにならないか

 介護をされる家族の方々へ司馬がお伝えしたいことの4つ目は、ある意味既に「他人に頼れ」と書いた話と重なる部分も多いのですが、「介護保険というのは頼りになるのか?」という部分です。ここは既に介護に携わっている家族にとっては「言わずもがな」という部分もあるかも知れません。

 司馬の経験で言うと、親に認知症などの「介護の必要性」の兆候が現われた時点で、早めに市区町村の介護関係窓口・地域包括支援センターに相談し、介護保険の認定を取って、その認定基準で使える介護サービスは可能な限り使うことを考えた方がいいと思います。
 介護度が低くても介護用品のレンタルや自宅のバリアフリー化などは保険での補助の対象になりますし、介護度が上がってくるようなら介護用のパラマウントベッドや便器椅子のレンタルや、ヘルパーさんやデイサービス等のー利用も補助対象になります。自治体によっては介護タクシー関連の利用支援の助成制度が設けられていることも多いようです。
 ホワイトな企業に勤務されている方であれば、勤務先の福利厚生制度にで族介護支援の制度が整備されていることもありますので、そちらも調べてみることをおすすめします。

 司馬の両親の場合は、どちらも80歳を超えていたため、介護保険の負担割合が1割で済んだのも大きかったとは思います。負担割合が2割になると、それだけで家族の金銭的負担が倍になることも事実です。
 ただ、介護保険の認定を受けてサービスを利用することで、「高額介護(予防)サービス給付」のような制度を設けて介護の負担軽減を図っている自治体も多くあります。そうした制度の存在は自治体のWebサイト等でよく調べてみるのがいいと思います。

 両親の介護をするようになってから、FaceBookの「介護家族のとまり木」というグループを紹介していただき見に行ったのですが、書かれている皆さんのメッセージがあまりにも壮絶でした。そこから見ると、自分のやっている介護は介護と言うには非常に浅くて、楽をしちゃってるんだろうな…という思いがあります。
 同時に感じたのが、介護するお年寄りに対する文句だけでなく、ケアマネや介護施設への不平や不満の多さでした。介護をしている家族というのは非常に消耗し疲弊していて、それが故に不平や不満が出るのも当然だろうと思いますし、実際、司馬自身も介護に直面していた時期には、特に徘徊を繰り返す親父には殺意すら覚えたこともありました。そうした不平不満はとても他人事とは思えないところもあります。

 一方、介護保険というのは「介護される老人のためのもの」というだけではなく、「介護をする家族のためのもの」というのを常々感じていました。そういう点から、介護保険制度自体は決して「頼りにならない」ものとは思っていません。
 ただ、介護家族からの介護保険での各種のサービスに対するニーズと、実際の介護保険でのサービス内容のミスマッチは多々あるように思えますし、そういう実態は社会全体としてもっと認知されるべきだろう…と思います。
 特に、今の介護保険制度は制度自体の複雑さと事務手続きの面倒さは改善の余地があります。他の社会保険・医療保険・障害者保険の制度との連携や、自治体行政も含めたワンストップな対応を作って行く必要があろうとは感じるところです。

これから介護へ向かわなければならない皆様へ(3):施設を利用するのであればその施設の方針を尊重するのが吉

 これから家族の介護に直面される方々、現在既に直面している方々へ司馬からお伝えしたいことの3つめは、「デイサービスや高齢者サービス付き住宅、介護老人保健施設を利用するのであれば、運営方針や介護方針についてはできるだけその施設を考え方を尊重するのが、結果的にお年寄りや自分自身にとってもいい結果に繋がりやすいと思う」という点です。

 司馬のところでの2人介護ではデイサービスや介護老人保健施設の利用がメインになりましたが、そういった施設を利用してみると、意外なほど施設によって設備だけでなく運営や介護の方針が異なります。家族としてはいろいろ気になる部分も出てくるとは思いますが、司馬はそういう部分には口を出さないようにしていました。
 お年寄りを施設に入居させると、面会に行った時にお年寄りから聞く話と、職員から聞く話にかなりの乖離が出てくることが少なくありません。ただ、家族よりも介護職員の方が接する時間が長くなりますし、施設で過ごしている時の様子等も客観的に観察されていますので、やはり職員から聞く話を優先した方が後々良い結果に繋がることが多かった気がします。

 介護老人保健施設は割と病院に近い性格の施設であることもあり、一応継続して入居できるのは上限3ヶ月…という制約がありますが、司馬の両親の場合は父親には人工透析が必要で、母親は脳梗塞・脳出血といった基礎疾患があり、他の施設に移すのが困難でしたので、実際には父親は3年半以上、母親も2年弱同じ施設に居着く結果になりました。
 その間にどちらの施設でも「入居していたお年寄りが退去させられる」事例をいくつか見聞きしました。ただ、その多くは「お年寄り自体の問題」というよりも、「面会に来る家族が施設の方針を守らないということに起因している」と聞いています。
 最近は新型コロナウィルスの蔓延もありますが、従来からインフルエンザウイルス等もあり、施設によってはそうした感染症のシーズンになると親族ですら面会を禁止するような施設も少なくありません。家族やお年寄りにしても「顔が見られないと不安」という状況も発生しやすくなるのですが、そういった場合はでいれば施設の職員さんに時々電話を入れて様子を聞く…というくらいに留めておいた方が良いかと思います。施設の方で「親族の意見や見解を聞くべき」という状況になった時には、施設から電話で連絡が入ってくることもそれほど珍しいことではありませんので…。

これから介護に向かわなければならない皆様へ(2):介護の形は人それぞれ

 これから介護に直面する方々へ司馬からお伝えしたいことの2つめは、「介護の形は人それぞれ異なること」という話になります。
 司馬の両親の話についても、あくまで「ひとつの事例」に過ぎない…という点については、このブログを読まれる皆様にもぜひ留意していただきたいと思います。

 介護する家族の立場になると忘れてしまいがちですが、介護される側のお年寄りにしても、症状は人それぞれ違うものの、「自ら望んでそういう状態になったわけではない」と思います。そのため、介護されること自体が心外であったりすることも珍しくなく、それが「介護への抵抗」の理由のひとつになっている気がします。
 司馬自身も両親の介護をしていた頃にはこのことはすっかり忘れてしまっていましたし、そこに気が付いたのは両親が亡くなり葬式が終わってしばらく経ってからでした。

 司馬の両親の場合、父親は徘徊の症状で認知症が顕在化しましたが、介護初期に自宅で居宅介護をしていた頃は介護への抵抗が酷く出ていました。
 1日に2回ヘルパーさんに着替えの補助を頼んでいた頃はヘルパーさんには割と従順でしたが、デイサービスには合わなかったようでした。
 その後人工透析を始めた関係で透析対応可能な介護老人保健施設へ入居させることになったのですが、そうしたところ人が変わったように大人しくなり、最期まで穏やかに暮らしてくれました。
 何故そこまで変わったのかは最期まで分かりませんでしたが、結果としては施設との相性がうまくハマった…ということなのだろうと思います。

 一方、母親の方は、最初に脳梗塞で倒れた際、失語症が出たものの手足の機能には殆ど異常がなかったため、一度は退院して自宅に戻り1年半ほど失語症のリハビリをしていました。その途上で今度は脳出血で倒れてしまい、その時には高次脳機能障害という形で歩行困難になってしまったため、退院後は脳神経外科を併設する介護老人保健施設へのお世話になることになりました。
 ただ、母親の方はまともに身体が動かせなくなり周囲との会話にも支障が出る状態でありながら、いわゆる認知症状にはあまり問題がなかったようで、自分の意思がうまく周囲に伝えられないことが自分でも認識できてしまっていたために、晩年は非常に辛い生活だったようです。
 施設でもしきりに家に帰りたがっていたようなのですが、失語症の関係もあり、家族としては他にあまり選択肢がなかった…という面もありましたが…。

 結果的に、司馬の両親に関してはどちらも最後は「介護老人保健施設に頼る」という形になりました。
 それを振り返ってみて思うこととしては、父親に関しては家族としてできる最後の親孝行になったと思える反面、母親に関しては晩年はかわいそうなことをしたな…という申し訳のない気持ちが残っています。ただこれは施設の問題ではなく、介護を行う家族としての対応の仕方やマネジメントがそれで良かったのか…という気持ちです。
 ただ、いずれにせよ、父親にしても母親にしても、入所した施設で最期の看取りまでお世話になることができたのは、家族としては施設の皆さんには感謝の気持ちしかありません。

これから介護に向かわなければならない皆様へ(1):基本的には他人や専門家を頼ることを考えて欲しい。自分で全てやろうと思うな

 これから身近な人を介護しないといけなくなるとか、現在介護に直面している人に対して私からお伝えしたいことの1つ目として、「できるだけ他人や専門家を頼ることを考えて欲しい。自分で全てやろうと思うな」という体験談を書きたいと思います。

 司馬の場合、認知症の出た親父の面倒を見ていた母親が倒れてしまった時点で、独身で2人の親を看ないといけない…という状況に陥りました。
 1人介護しなければならない家族が出た時点でも周囲には大きな負担になります。これが2人になれば最初から自分で面倒を見るというのはまず無理で、可能な限り公的な介護保険や関連の支援制度を使わざるを得ない…と割り切らざるを得ませんでした。
 ただ、世の中では「家で親の面倒を見たい」という人も多いのも事実だと思いますし、こういうタイトルを付けることに対して「親に冷たい」という心情を持つ方もいると思います。その批判を否定しようとは思いません。

 ただ、「介護」というのは周囲の家族の時間や労力、お金などを容赦なく奪って行くものでもあります。そこはある意味「育児」に似た部分がありますが、「育児」と「介護」の最大の違いは、「介護はいつ終わるかのメドが立たない」ことにあります。ある意味極端ではありますが、「明日突然終わってしまう」かも知れませんし、「あと何年続くかも分からない」のが「介護」です。
 そういう介護を長年に渡って続けて行かなければならない…とすると、「介護されるお年寄り」と「介護する家族」との「距離感」もある程度必要になると思います。「距離」が近づき過ぎることで、特に家族の側にいろいろな「負の感情」が蓄積されていくことになるからです。こうした「負の感情の蓄積」は長く続く介護の生活には決していい影響にはなりません。

 また、介護度が上がってきてもっぱら車椅子生活や寝たきりに近い状態になってくると、褥瘡(じょくそう・いわゆる「床ずれ」)の懸念が出てきます。
 これの対応は基本的には「同じ姿勢を長時間継続させないこと」「寝たきりの場合でも数時間に一度は寝返りさせること」が必要になってきますが、居宅での家族介護ではこうしたケアは行き届かなくなりがちです。こうした事情を考えると、それなりの介護施設に入居させて面倒を見てもらうことで、最終的には介護されるお年寄りにとって苦痛に繋がる要素を減らすことはできると思います。

 ただ、「家にいたい」というお年寄りも多く、このような場合ですと施設に入れることで帰宅願望ばかりが強くなってしまう場合もあり、どうすべきかは判断が難しいところもあります。それでも司馬的には、「自分の手で介護する」ことを考えるよりも、介護保険のサービスをできるだけ利用することを考えた方が良いだろう…と考えます。
 そういった面からも「介護は自分で全てやろうと思うな」というのが司馬の考え方です。

 あと、介護を行う家族の皆さんには、普段以上に自分自身の身体の健康にも留意して欲しいとも思います。
 介護をする家族の側が倒れてしまうと、介護される側のお年寄りだけでなく、その周囲にも迷惑がかかることになります。
 司馬もお年寄りの多い施設を使うようになってからは、滋養強壮の効果のあるサプリメント(マカとかタウリン)を使うようにした他、インフルエンザの予防接種は毎年受けるようにはしていました。

これから介護に向かわなければならない皆様へ

 司馬は2016年の5月に突然始まった両親の介護生活が2020年4月に突然終わりました。「突然終わってしまった」という感じもあるのですが、これからしばらくはその介護の生活を通して見てきたこと・感じたことをいくつか記事として綴ろうと思っています。

 一方、世間では高齢の家族を抱えてこれから介護の心配をしないといけない人も多くいるかと思います。
 本題の内容を書く前に、そういった人たちに向けたメッセージをいくつか書いておきたいと思います。メッセージは以下の4つ:

  1. 基本的には他人や専門家を頼るべき、自分でやろうと思うな
  2. 介護の形は人それぞれ
  3. 施設を利用するのであればその施設の方針を尊重すること
  4. 介護保険は頼りにならない?
それぞれについては別途記事を起こしたいと思います。

 このブログを見に来られる方は何らかの形で親や配偶者の介護に直面されている方ではないかと思いますが、残念ながらそうした方の参考になるような話は多くはならないのではないかと思う…ということは最初に記しておきたいと思います。いくつかでも参考になるような話があれば筆者としても幸いではあるのですが…。

 このブログではコメント欄を開けてありますので、ご意見やご質問などがありましたらお寄せいただければありがたいと思います。

 育児と違い、介護というのは「いつ終わるかが分からない」というところが非常に困る部分です。「あと10年(以上)続くのかも知れないし、明日突然終わってしまうかも知れない」という状況というのは生活設計が立てられないので非常に困る…という部分があります。
 そこに関しては残念ながら司馬も答えを持ち合わせていません。ただ、「かなりの長期間に渡ることになるのであろう」という覚悟だけは必要なのだろう…とは思います。