2020年6月13日土曜日

これから介護に向かわなければならない皆様へ(2):介護の形は人それぞれ

 これから介護に直面する方々へ司馬からお伝えしたいことの2つめは、「介護の形は人それぞれ異なること」という話になります。
 司馬の両親の話についても、あくまで「ひとつの事例」に過ぎない…という点については、このブログを読まれる皆様にもぜひ留意していただきたいと思います。

 介護する家族の立場になると忘れてしまいがちですが、介護される側のお年寄りにしても、症状は人それぞれ違うものの、「自ら望んでそういう状態になったわけではない」と思います。そのため、介護されること自体が心外であったりすることも珍しくなく、それが「介護への抵抗」の理由のひとつになっている気がします。
 司馬自身も両親の介護をしていた頃にはこのことはすっかり忘れてしまっていましたし、そこに気が付いたのは両親が亡くなり葬式が終わってしばらく経ってからでした。

 司馬の両親の場合、父親は徘徊の症状で認知症が顕在化しましたが、介護初期に自宅で居宅介護をしていた頃は介護への抵抗が酷く出ていました。
 1日に2回ヘルパーさんに着替えの補助を頼んでいた頃はヘルパーさんには割と従順でしたが、デイサービスには合わなかったようでした。
 その後人工透析を始めた関係で透析対応可能な介護老人保健施設へ入居させることになったのですが、そうしたところ人が変わったように大人しくなり、最期まで穏やかに暮らしてくれました。
 何故そこまで変わったのかは最期まで分かりませんでしたが、結果としては施設との相性がうまくハマった…ということなのだろうと思います。

 一方、母親の方は、最初に脳梗塞で倒れた際、失語症が出たものの手足の機能には殆ど異常がなかったため、一度は退院して自宅に戻り1年半ほど失語症のリハビリをしていました。その途上で今度は脳出血で倒れてしまい、その時には高次脳機能障害という形で歩行困難になってしまったため、退院後は脳神経外科を併設する介護老人保健施設へのお世話になることになりました。
 ただ、母親の方はまともに身体が動かせなくなり周囲との会話にも支障が出る状態でありながら、いわゆる認知症状にはあまり問題がなかったようで、自分の意思がうまく周囲に伝えられないことが自分でも認識できてしまっていたために、晩年は非常に辛い生活だったようです。
 施設でもしきりに家に帰りたがっていたようなのですが、失語症の関係もあり、家族としては他にあまり選択肢がなかった…という面もありましたが…。

 結果的に、司馬の両親に関してはどちらも最後は「介護老人保健施設に頼る」という形になりました。
 それを振り返ってみて思うこととしては、父親に関しては家族としてできる最後の親孝行になったと思える反面、母親に関しては晩年はかわいそうなことをしたな…という申し訳のない気持ちが残っています。ただこれは施設の問題ではなく、介護を行う家族としての対応の仕方やマネジメントがそれで良かったのか…という気持ちです。
 ただ、いずれにせよ、父親にしても母親にしても、入所した施設で最期の看取りまでお世話になることができたのは、家族としては施設の皆さんには感謝の気持ちしかありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿